浜名湖ユースのカフェルナティック

今日は子供が夕飯前に泣き出して

30分以上も泣き止まなくて

どうしてこんなに泣くんだろう

悲しいのかな? 

もしかして私のせいかなと

いろんなことを

勝手に解釈してみたりして

そしたら私も

どうすればいいのかわからなくなり

何だかツゥっと涙がこぼれた。

 

 

もう長いこと 

私は泣きたかったのかもしれない。

 

 

たくさん たくさん 

泣いたあとには何かがわかる

大切なことが待っている 

だけど今はまだ

それが何だかわからない。

 

 

そしてどういうわけか

浜名湖ユースのカフェに

興味をもって 

かつて書いた日記をちょっと

読み出した。

ああ ユースにいたときは

豊かな暮らしをしてたなあ

こんなにも夢を描いていたんだなあ と

思い出す。

そしてそこには書いてある

「私はカフェをやるために

生きてきたのかもしれない」と。

 

 

カフェには沢山の出会いがあった。

ユースホステルのお客さん

新居という町の人たち

浜松から来てくれた人

そして旦那の家族もみんな

やってきては応援してくれ

本当に多くの人たちと

日々交わっていた。

 

あの時はあれが普通だったけど

本当に今にして思えば 

よく京都でもない

浜名湖というあの場所に 

あれだけの多くの人が

集まったなあと 

本当にすごいことだったんだと

それだけは 

よくわかる。

 

 

「あなたがやってた

ユースとカフェっていうのはね

1つのはっきりとした主張でしたよ」

と慶応の熊倉先生は言っていた。

今「三田の家」で有名な先生は 

たぶん3回くらいは来てくれて

その「主張」を面白いと思ってくれていた。

 

私はもう 

ほとんど忘れかけていたけど

あの場所は 

一つの大事な場所だった

あの場所では 

輝いていた 

私もカフェも

あのホール も 

そこにいたお客さんたちの顔だって

 

 

あそこでは 

お客さんが来る度に 

芸術談義をくりひろげたり 

深い話をしたりしていて

いつだって 

一人に対して2時間くらいは語り合ってて

それも私が話すんじゃなく 

お客さんに質問をして

彼らの話をきいていた。

私は店主だったから。

 

「カフェルナッティックはね 

飯田さんのカフェの

物語の序章だと思うんです 

適性検査というか・・・」

 

「美樹さんのそんな顔みてるとね 

自分の仕事これでいいのかなって思いますよ」と

言ってくれたお客さん。

年賀状に今年一年で一番心に残った

思い出はあのカフェですと

書いてくれたお客さん。

あのカフェは

そこに来た人たちのサードプレイスで

かけがえのない 

そこにしかない居場所であって

滋賀からも 

東京からも 

埼玉からも来てくれていた

みんなが大事にしてくれていた

誰かと出会えるかもしれない

少なくとも開いてれば 

私がカウンターにたっていて

おいしいコーヒーが保証されてて

たぶん楽しい出会いが待ってる

そんな場所 だったんだ。

 

 

どうしてやめてしまったのかって?

他にも可能性があるんじゃないかと思ったからで

ブレーメンの笛吹きが 

私のことを

私も京都に帰りたい!と 

知的な場所に帰りたいと

思わせて 

研究をしっかりやろうと思ったからで

 

あのときカウンターに立っていた

私は私 だったのだろうか

それはきっとそうなのだろう。

 

 

あれからもう何年もたち 

浜名湖ユースは閉鎖され

今では更地になってしまって

ホールの跡形すらもない。

本当にそれがあったのか?

本当にそこで出会ったのか?

私たち は 

沢山のことをあそこでしたけど

沢山のことを語ってきたけど

あれらは 

どこに つながるのだろう

 

 

私たち は 夢をみていた

それはユースがあったから?

あそこは夢をみれる場所だった

あんまりに大きかったけど

だけど素敵な場所だった

そうしていつしか時がたち

何故だか私は

京都郊外のニュータウンで

一人の専業主婦として

ほとんど誰も訪れることのない大きな家で

暮してて なんだか

別人になったみたいだ。

 

 

 カフェがすぐそこにあったころ

着替えをして下に降りれば誰かいた。

プライバシーなんてなかったけれど

それが嫌にもなっていたけど

だけど今 こうして郊外に住んでみて

プライバシーだけは重視されてても

サードプレイスや誰かと交わる

誰か面白い人たちが行き交ってる場が

ほとんどない世界にいると

何かがとっても乾いてしまう。

 

 

 あそこはカフェでかつ宿だったから

「いつもかわらない常連客」だけでなく

すっと新しい風を吹き込む 

遠くの場所から

遠くの国から来た誰か が そこに

やってきて 

空気をちょっといれかえて

さわやかな空気がやってきた。

 

私はあまりに若かったから 

彼らの空気にあてられて

私も旅がしたいと思い 

私も人生を試してみたいと思ったけれど

実際 どうだったのかなあ。

 

 

 そうしてあれから京都に住んで

私たち は すっかり

「普通の人」になってしまった。

この先一体どうなるのだろう。

 

「カフェをやるより

通う人になりたい」なんて

言ってみたけど 

あそこでの1年半の語りは

あまりに深かった。いつかまた

私もどこかで 場所をもつことになるのだろうか

夢 っていったい 何なのだろう

今の私にはわからない。

 

※2010年12月に書いたものを加筆修正して載せています。