虹色の珈琲:京都の名店 喫茶ゴゴ

今日こそはゴゴに行こう。

毎日毎日そう思っても、

天気だとか体調だとかで行けなくて

あっという間に一週間が過ぎてゆく。

 

けれども今日は

うちのマンションが断水らしく

これじゃお昼ご飯の洗い物もできないだろうと

この日ばかりはゴゴで外食。

それを楽しみに待っていた。

 

 

そうして時間になって

息子をつれて電車に乗って

いつもの喫茶店へと足を伸ばすと、

いつもの通り、いつもの人達。

息子は起きていられるのかな?

ゴゴに着く直前で彼は眠ってしまったけれど、

店に入って声をかけられるとまた起きて、

しばらくいい子で過ごしてた。

 

どうなることやら・・・

ドキドキしながら注文をして、

サンドイッチがきたものの、

彼はまだお目めぱっちり。

これではとても食べられない。

うーんと思っている間にちょっとぐずって、

ちょっとだけども私はかなりびびってしまい、

そうだ外に連れだそう!と

ちょっと散歩をしてくると、

すぐに彼は眠ってくれて

なんとかご飯が食べられる。

 

 

そんな今日のゴゴにはいつもと違った風景があり、

なんと、あのマスターがカウンターの中に立ち

 

えっ!?コーヒーを淹れている!?

 

 

「マスター 立てるようになったんですか!?」

突然の入院からもう1年半が過ぎ去って

車椅子姿ばかり見ていたけれど。マスターが

またあそこに立って、コポコポとコーヒーをいれている。

 

そ そんな日が来るなんて!

 

 

そのコーヒーはお客さんのために淹れられた

コーヒーらしく、常連客のお客さんは

そのコーヒーを待っていた。

なんて美味しそう・・・

 

 

前回ゴゴに行ったとき

こればっかりは!と決心をして

ついにコーヒーを口にしたけど、

勢いあまって飲みきってしまった

コーヒーで母乳はコーヒー牛乳味になり

味にうるさい息子は

かなりイヤイヤをして、

しかもめちゃくちゃ興奮してて 

「ごめん!もうお母さん

コーヒー飲まないからね!」と約束したのに。

だけど、どうしてもの時だけは。

そんな時はコーヒーを飲んでみたい。

 

この私、が息子を産んでから

コーヒーを飲んだのはたったの3回。

1回目は3分の1しか飲んでいないし、

2回目は一口だけで 

2回目がゴゴのコーヒー。

そこまで我慢しているわけであり、

どうしてもならいいじゃないか。

そうは思えどイヤイヤされるのも嫌だから、

あれ以来飲んでないけど。

だけどマスターのコーヒーは

「どうしても」に価するんじゃないだろか。

 

だってゴゴのコーヒーなわけであり

しかもあのマスターが

一年半ぶりに立っているけど、

この先もう一度飲めるかなんて全然わからないわけで。

だけど今ならたてたばかりのコーヒーが、

すぐそこにできていて・・・

 

 

 やっぱり飲もう!

 

 

蓮太郎、ごめん!

そう決意して注文をして、一口目を口にする

うーん普通の味かなあ?

そう思った後、なんだか違う。

何かが口に広がって、甘い味も、

ほんのりとした苦みも、

複雑な味が次から次に私の口に広がって

優しくて まろやかで 

ハーモニーのようなその味がのどの奥までやってくる。

 

 

 これが 

 

 これがマスターのコーヒーなんだ

 

 

なんだかとっても優しくて 

ほろ苦くって

まさに青春という名のような 

あたたかくってちょっと切ない

それでいて色んな味の 

そんな珈琲

それがマスターの珈琲なんだ

 

 

そうか私はこれに出会って感動し

それからここに通い始めて

あれからいろんな歴史があって

マスターはいつか立たなくなって 

お姉さんが立つようになり

沢山の事件や出会いがある中で 

ゆっくりと時は経過して

私だって結婚をして 

妊娠をして 

子供はもう三ヶ月になり

色んな風に変わっていった 

ただ珈琲を飲むだけで

様々な思い出が湧き起こる 

そんな力を持っている

それがマスターの珈琲なんだ

 

そりゃこんな珈琲は 

京都にだって全然なくて

美味しそうに見えたところで 

単調な味の珈琲ばかりで

一口目は美味しくっても 

あとは濃いだけ

そんな珈琲ばかりの中で 

マスターの珈琲は

虹色のように変化する 

人を感動させてくれるような

そんな珈琲なんだよな。 

だから私はここにきて

だから私はここに通った。 

きっとここに通ってきている

他の人たちも同じだろう 

それほどまでにこの珈琲は

感動的で 

力を持った珈琲だった。

他の店ではありえない 

そんな珈琲とマスターと

暖かい語りの溢れる 

そんな店がここだった。

 

 

たった一杯 

たった一杯の珈琲だけで

そんな想いが立ちあらわれる 

それほどまでに

珈琲という飲物は 

力を持ちうるものなのか。

 

 

またいつ何時 

あんな珈琲が飲めるのだろう

あんな味の珈琲を 

当たり前に日々飲んでいた

私はなんて幸せだろう。

 

最近私は気付いたけれど 

私はカフェに恵まれている

いい店なんて 

本当に少ししかないけれど

私が住んだ 

これまでの場所に

いいカフェはいつも存在してた。

それって本当に幸せなこと 

 

でもまたゴゴには戻ってきたい

憧れていた「行きつけのカフェ」

私も出会えた行きつけの店 

それは本当にありがたい。

 

※2008年に執筆したものを加筆修正しています。