The third place

サードプレイスとは


 近年よく耳にするようになった「サードプレイス」という言葉。これはアメリカの社会学者、レイ・オルデンバーグが著書"The Great Good Place"の中で提唱している概念で、家庭(第一の場)でも職場(第二の場)でもなく、友人や知人達と気軽に落ち合える場を指しています。(「サードプレイスというのはバラエティに富んだ公共空間の総称で、常連客をもてなし、自発的で、堅苦しくなく、家庭や仕事という領域を越えた個人が楽しく集うことが予想されるような場所のことである。」
 カフェという場は歴史的にサードプレイスとして重要な役割を果たしており、彼はパリのカフェについて「パリのカフェほどサードプレイスとして挙げやすい場は他にない」と述べています。オルデンバーグもフランスへの羨望は隠しきれないようで、知人の言葉を借りてこう言います。「彼がフランスが好きなのは、誰もがアメリカよりもリラックスして生きているからだという。アメリカはもっとプレッシャーが強いのだ。フランス人は場の問題をとっくに解決してしまっている。彼らの日常生活は確固とした3つの柱で成り立っている。家庭と職場、それから日中や夕方の食前酒の時間に友人たちと落ち合えるサードプレイスだ。アメリカでは中流階級の人々は、家庭と仕事という2つの点だけでバランスをとろうと試みているのだ。

インフォーマル・パブリック・ライフとサードプレイス


オルデンバーグの語るサードプレイスは、日本では誤解されているように感じます。原文から理解できるサードプレイスのニュアンスを図解します。

 彼はアメリカの郊外開発ではインフォーマル・パブリック・ライフがほとんど無視されてきたことを述べ、それによって第一の場である家庭と第二の場の職場に対する期待と要求が度を越したものとなり、結果としてそれらのプレッシャーに押し潰されてしまう人たちが続出したと語ります。家というプライベートな空間で人間本来の欲求を全て満たすのは始めから無理なことなのに、アメリカの消費社会は大きな家を買い、全てを購入すれば完全な幸せが手に入る・・・というプロパガンダを広めていったというわけです。現代社会で私たちは多くのストレスにさらされています。それらの多くは実は社会的に原因のあるストレスなのに、解決策はあくまでも個人的なもの(ジョギング、瞑想、リラクゼーションなど)であり、社会的な解決策は模索されてこなかったと彼は問題提起しています。人が羨むような大きな家に住みながら、何故か息苦しくため息をついてしまうのは、実は人間のもう1つの柱であるべきサードプレイスの欠如によるのでは?そこに行けば誰かに出会え、ちょっとした話ができ、そこを後にする頃には気分が上向きになっている・・・そんな場所が生活の一部にあったなら、それほど豊かなことはないのではないでしょうか。
 ちなみにオルデンバーグはサードプレイスという言葉は「インフォーマル・パブリック・ライフの核となるセッティング」と呼んできたものを意味する」と書いています。つまり、彼にとっては、サードプレイスというのはインフォーマル・パブリックライフの中核であり、サードプレイスだけが独立して存在するわけではないのです。インフォーマル・パブリック・ライフが充実し、かつその中に2−3カ所のサードプレイスがあるような界隈はそこを拠点として素晴らしい街がつくられるほどのポテンシャルを持っているのではないか、そう私は考えます。
 私が執筆中の2冊目の本は、郊外で孤独に子育てしていた時にこの本に出会ったことがきっかけで研究が始まりました。なぜ郊外にはインフォーマル・パブリック・ライフがこんなにも欠如しているのか?20世紀に世界中で再生産されたアメリカ型郊外とは?そしてインフォーマル・パブリック・ライフの重要性と、それを生み出す仕組みとは?力作ですので、是非出版された際にはご覧いただけると幸いです。
サードプレイスに興味のある方はぜひ「サードプレイスとしてのカフェ」もご覧ください。
 
引用は全てRay Oldenburg "The Great Good Place"より 拙訳