Cafés as the Third Place

サードプレイスとしてのカフェ


 “The Great Good Place”の邦訳である、『サードプレイス コミュニティの核になる「とびきり居心地よい場所」』が2013年に出版されてから、たった数年でサードプレイスという概念は一気に日本に広まった。とはいえ、原書を何年も読んできた者からすると、日本ではサードプレイスという言葉だけが一人歩きしているように思えてしまう。私が主に疑問を抱いているのは次の2点である。1つ目は、彼が冒頭で長々と説いた、インフォーマル・パブリック・ライフの中核としてのサードプレイス、という概念がほぼ読み飛ばされている、ということである。日本ではビルの3階にあってもサードプレイスとして成り立つような風潮があるが、オルデンバーグはサードプレイスはインフォーマル・パブリック・ライフの中核として機能する場だと述べている。インフォーマル・パブリック・ライフを一言で表すと、気軽に行けて、予期せぬ誰かや何かに出会えるかもしれない場所であり、バカンスを想起させるリラックスした雰囲気が特徴である。そうした場の中心点にカフェやパブのような店があることの重要性が、日本でしっかりと認識されているようには思えない。この重要性、それが街にいかにプラスの影響をもたらしていくかについては2冊目の本で語るつもりである。
 2点目は、サードプレイスという概念が、家庭でも職場でもない3つ目の場、というところに力点が置かれていることである。たしかに、家庭でも職場でもなく、自分の時間を持ちたい時に寄れるカフェは日本でもぐっと身近な存在となり、そうした時間を過ごせることは非常にありがたい。とはいえオルデンバーグが提唱しているサードプレイスの概念は、ただ職場でも家庭でもないだけでなく、そこで誰かと気軽に落ち合い、会話することこそが重要なのである。この点も軽視されているといえないだろうか。
 サードプレイスという概念が広まった一方で、多くの個人経営のカフェは苦戦しているようである。2000年頃から、東京ではカフェブームが起こり、都心にも個性的なカフェが乱立したが、当時有名になり、今でもそこに残っているカフェはごくわずかであり、3年前に出版されたカフェのガイドブックすらたいして使いものにならないほど、生き残るカフェは貴重な存在である。個人経営のカフェには競争相手があまりに多い。料理の質では、きちんとした修行を積んだシェフのいるレストランに負けるかもしれないし、ドリンクの味が並みであれば、値段の安いものが選ばれるだろう。サードウェーブ系の店を訪れた後、「この店のコーヒーとコンビニのコーヒーの違いが私にはわからない」と言う声もよく耳にする。そう思った彼らは街角にあり、安くて便利なコンビニのコーヒーを選ぶだろう。では人々が個人経営の店にこそ求めることは何なのだろう?コーヒーの味わいの良さ?パティスリー並みのケーキ?それとも長居できること?
 サードプレイスの本の邦訳からまだ6年しか経っておらず、本の価格は4千円以上もするにも関わらず、この言葉が日本でここまで認知されるようになったのは、こうした場を人々が求めているからだといえるだろう。しかし、実際にサードプレイスとして機能している一般のカフェはごくわずかであり、参考事例として挙がるのはコミュニティカフェの方だろう。日本にはカフェや飲食店は山ほどあり、毎年カフェのガイドブックが出版されているというのに、そこに行けば誰かと気軽に会話ができ、ほっとして気分が少し上向きになる、そんなあたたかみのあるカフェに出会うことは難しい。
 とはいえ、そんなサードプレイス的なカフェこそ、今の社会が求めているものなのではないだろうか。いまどき、質の高いコーヒーを飲むことは自宅で十分可能である。そんな中、人々があえて家の外に求めることは、家庭内ではできない、他の人々とのちょっとした触れ合いの機会ではないだろうか。高齢化社会がどんどん進み、ひきこもりも増えている今、人々の生活圏に、サードプレイスとして機能する場は欠かせないはずである。サードプレイスでは、飲み物の質は良いにこしたことはないものの、それほど重要なものではない。飲み物はその空間へ入るための入場料、エクスキューズとしての役割の方が強いからだ。そこでゆっくり滞在することができ、他ではできない心の交流や、心あたたまる経験、いい時間が過ごせたな、と思えるのあれば、人はありがとうといってその値段を払うだろう。カフェでの経験が、そこでしかできない経験に変化したとき、ドリンク代は純粋な飲み物の対価としてでなく、入場料、経験料という認識に変化する。
 フランスやイタリアのカフェ、イギリスのパブが成り立ってきたのは、そこでただ喉の渇きを潤すだけでなく、人に出会い、自分をあたたかく受け入れてもらいたいという欲求を満たしてくれる場だったからである。何より大切なのはあたたかさであり、オルデンバーグは、「あたたかみのない家庭は存在するが、あたたかみのないサードプレイスはありえない」と述べている。あたたかみがなければサードプレイスとして成り立たずに崩壊するからだ。人がサードプレイスに行くのは、銀行やショッピングでは満たされない、誰かとの心のこもったあたたかい交流、ふれあいの欲求を満たすためなのだ。人は人から得る刺激を欲しており、人と一緒にいたいのだ。一方で干渉されるのは嫌というパラドキシャルな生き物だからこそ、店主や隣あった人と気軽に会話のできるカウンターがあり、座りたければ席に着いて放っておいてもらえるという、自由度が高く、客にとって使い勝手のいいカフェが重要な場となるのである。個人経営のカフェはそんなサードプレイスとしてのポテンシャルを持っているのではないだろうか。(拙著『カフェから時代は創られる』コラムより抜粋)