“The Great Good
Place”の邦訳である、『サードプレイス コミュニティの核になる「とびきり居心地よい場所」』が2013年に出版されてから、たった数年でサードプレイスという概念は一気に日本に広まった。とはいえ、原書を何年も読んできた者からすると、日本ではサードプレイスという言葉だけが一人歩きしているように思えてしまう。私が主に疑問を抱いているのは次の2点である。1つ目は、彼が冒頭で長々と説いた、インフォーマル・パブリック・ライフの中核としてのサードプレイス、という概念がほぼ読み飛ばされている、ということである。日本ではビルの3階にあってもサードプレイスとして成り立つような風潮があるが、オルデンバーグは
サードプレイスはインフォーマル・パブリック・ライフの中核として機能する場だと述べている。インフォーマル・パブリック・ライフを一言で表すと、気軽に行けて、予期せぬ誰かや何かに出会えるかもしれない場所であり、バカンスを想起させるリラックスした雰囲気が特徴である。そうした場の中心点にカフェやパブのような店があることの重要性が、日本でしっかりと認識されているようには思えない。この重要性、それが街にいかにプラスの影響をもたらしていくかについては
2冊目の本で語るつもりである。
2点目は、サードプレイスという概念が、家庭でも職場でもない3つ目の場、というところに力点が置かれていることである。たしかに、家庭でも職場でもなく、自分の時間を持ちたい時に寄れるカフェは日本でもぐっと身近な存在となり、そうした時間を過ごせることは非常にありがたい。とはいえオルデンバーグが提唱しているサードプレイスの概念は、ただ職場でも家庭でもないだけでなく、そこで誰かと気軽に落ち合い、会話することこそが重要なのである。この点も軽視されているといえないだろうか。